前回からの続き。宇野の街をあとにして、宇野港に向かいます。
シーサイドマート玉野魚市場から、四国フェリーの高松行きのきっぷうりばに来ました。宇野駅の方に戻る方角で、子供の足で歩いて10分ほどでした。

自動車で乗船しない旅客用に自動発券機がありました。

自動車で利用される方は、車検証の提示がいるので、有人の窓口に並ばれてました。わが家は徒歩だったのですが、未就学児がいて、発券機には子供料金の無料区分が記載されていなかったので、窓口に並びました。結局、大人一人に付き未就学児一人は無料でした。
きっぷを買っている途中で、フェリーが入港してきました。第一しょうどしま丸です。近づいてくると、大きいです。迫力があります。

「あと3m。あと2m。あと1m。」と、船首で船員さんがトランシーバーでブリッジ(操舵室)と連絡を取り合いながら、着岸しました。

さあ、わたしたちも乗り込みます。車両甲板に乗り込んですぐ、船体ワキにある狭い階段を船室へ登ると客室甲板です。広いです。

とりあえずお腹が空いていたので、入ってすぐのベンチタイプのシートに座って朝食です。
#8WIREさんで買ったバーガーは「朝(あさ)」と「牛(ぎゅう)」。




手作りハンバーガー屋さんの割にお値段は控えめで、でも味はしっかり本物でした。控えめに言っても、最高でした。
蛇足ですが、ハンバーガーは、その発祥はモンゴルのタタールで、タルタルステーキです。それがモンゴル帝国のヨーロッパ征服とともにドイツにも伝わり、18世紀には「フリカデレ」(frikadelle)と呼ばれる挽き肉にパン粉を入れて火を通した、労働者の家庭料理になりました。

また、ハンブルクにおいて、船乗りら向けに「ハンブルガールントゥシュトゥック(Hamburger Rundstück:ハンブルクの丸いもの)」という、豚肉や牛肉のステーキと目玉焼きを半切のパンにのせた料理がありました。

これらがドイツ移民とともにアメリカ合衆国に伝わり、アメリカ合衆国でフリカデレとハンブルガールントゥシュトゥックが合わさって、「ハンバーグ(ハンブルク風)ステーキ」→「ハンバーガーステーキ」→「ハンバーガー」となりました。今やアメリカ合衆国を代表する国民食になりました。
そして子供の手にかかって、フライドポテトは蒸発しました。

フライドポテトの発祥は、諸説ありまあすが、17世紀中期にベルギーのナミュールという町で始まったらしいという説が最有力です。 町の中心部にムーズ川が流れるナミュールでは、川魚を常食していたのですが、冬期の寒波でムーズ川が凍結し、不漁に困った住民が保存食のジャガイモを、小魚に見立ててスティック状にして揚げて食べたことが起源という話です。
ちなみにこのナミュールの町はフランス語圏で、一次世界大戦中にベルギーにやってきたアメリカ兵が、これを目にしたとき、人々が話していたのがフランス語だったため、「フレンチフライ」と勘違いしたためだと言われています。

ベルギーでフライドポテトは「フリッツ」と呼ばれていて、ベルギーの国民食です。ベルギー人のフリッツに対する愛、誇り、こだわりは相当なもので、ジャガイモの品種選びから付け合せのソースまで、細かくうんちくとルールがあります。水の都ブルージュにはフリッツの博物館まであります。
やさい屋ポッケさんで買ったパウンドケーキとマフィンも大人の口には入りませんでした。


さて、お腹が落ち着いたので、船内探検。
階段を上がって、展望デッキへ。気温は10℃くらいでしたが、風が強いのでさらに寒く感じます。快晴です。



宇高連絡船といえば、うどん。腹具合とか、味とかではなく、ここのうどんは食べておきたい。たぶんもう食べられなくなるし。
わたしと同じ考えの方が多いのか、乗船と同時くらいから、売店の前は長蛇の列でした。

あとで落ち着いてから買おうと思っていたのですが、一向に順番待ちの列がなくならない。次から次へどんどんお客さんが並びます。そうこうしているうちに航路も終盤にさしかかってきた感じがしてきたので、あわてて並ぶことにしました。
驚いたことに、これだけの数のお客さんを女性の店員さんがたった一人でさばいていました。

お年も若気な方でしたが、焦った感じもなく、淡々と、平然と、うどんを作る作る。スピード感あふれる流れるような職人芸でした。あっぱれ。

今まで一度も食べたことがなかった連絡船名物のうどん。厳密な意味での連絡船うどんは、JR高松駅の改札をくぐったホーム内に、上陸して営業されていますが、やはりフェリーで食べることに意義を感じます。良い思い出ができました。

食べ終わる頃には、高松港が近づいていました。もうすぐ下船です。下船前に接岸風景を見ようと、もう一度展望デッキへ上がりました。


接岸したので車両デッキにおりてみますと、もうランプウェイも倒され、徒歩の旅客は一足先に船から降り始めていました。僕たちは車両デッキにおりたタイミングも遅く、船体の後ろ側におりてしまったため、クルマやバイクの方々と同じように、下船する順番を待つことになりました。

高松到着です。
参考サイト:
Wikipedia、四国汽船、#8 WIRE、四国フェリーグループ・小豆島フェリー株式会社、など。
画像元サイト:
Wikimedia Commons、DasKochrezept.de、など。



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