讃岐の白
さて、「本場さぬきの天ぷら」です。
讃岐と言えば、白。
岡山からでは朝早くにお伺いすることができないので、店内の印象は、厨房の火が落ちて薄暗く、様々な形をした、美しい揚げかまぼこが小ぢんまりとバットに並べられていた印象です。並べられたてんぷらは、いかにも讃岐らしく、全体的に色合いが淡白く上品で、小判形などはなく、長方形や円板形などに几帳面に整えられていました。なるほど「讃岐の天ぷら」です。

讃岐の印象を色で表すとすれば、やはり白です。むかし高松藩だった頃に、高松松平家の五代目である藩主、松平頼恭が殖産事業をはじめまして、東讃では「砂糖」、中讃では「塩」、西讃は「綿」を奨励しました。やがてこれは成功してこの三品は高松藩の代表的な産品となり「讃岐三白」などと呼ばれ、讃岐は幕末まで四国の商工の中心地として大いに栄えました。讃岐では人も街も雅やかで洗練されていてたと言われています。四国では、それぞれのお国(土地)のカラーがハッキリと特徴的で面白いです。

山伏も白。
ちょっと歴史について細々語ります。
讃岐という名前は、もともと「幅が狭い」くらいの意味の「狭緯(さぬき)=緯(ぬき)が狭い」から来たと言われます。この小さな讃岐の西側(西讃)に琴平があります。ここら一帯はかつて九条家(藤原一族の宗家、藤原摂関家。)の荘園だった時期がありました(小松荘)。また、讃岐、特に西讃は弘法大師のお膝元で、真言密教のメッカでもありました。琴平にある松尾山(琴平山)という標高が500mほどの、ちょっと崩れかけたプリンのような、割と広く奥深い山中では、たくさんの修験者(山伏)が修行に励んでいました。

ワニ神様、山伏の山へ。
戦国の末期にそんな修験者(山伏)たちの中に、地元で勢力拡大を頑張ってる海賊上がりの一族で、西長尾城主の長尾大隅守高家という男の甥(弟?)がいました(のちの宥雅)。長尾家は政治的な理由から、彼を使って新興宗派を立ち上げることにします。出が海賊ということもあったでしょう、インドのワニ神様を選んで、金毘羅神という修験道(天狗道)の守り神として祀り上げ、琴平山の山腹に金比羅堂を建てました。そして金比羅堂を統括する寺院(金光院)を組織し、山の麓にあった松尾寺という由緒のあるお寺の別当寺として松尾寺グループの一員に入れてもらいました(松尾寺金光院)。宥雅らは社僧として金毘羅大権現を祀り、長尾家のバックアップを得て金刀比羅宮を勃興させましたが、間もなく土佐の長宗我部元親による四国統一の侵攻が西讃に及ぶことになり、これによって金刀比羅宮は燃やされてしまいました。

元親「あ、これ使ってみよ!」
このまま荒廃してしまうかと思われた金刀比羅宮でしたが、四国の覇者、長曾我部元親は流石に卓越した統治手腕を持っていたようで、彼は破壊を免れ焼け残った無人の松尾寺グループに目を付けました。彼はここを潰さず、讃岐支配のための宗教組織を構築する装置として居抜きで活用することに決めました。決め手になったのは金毘羅大権現と金光院で、新興神と振興宗派が使いやすかったからです。讃岐の寺社は善通寺などの古刹だらけで、どこを見渡しても土佐の田舎侍の話なんぞ聞いてくれそうな所がなかったからです。
四国という土地は案外、京との距離感が近くて、大名は公家の庶流なんかの名門が当たり前にいて、家柄に煩い連中が多かったんですね。長宗我部は国人(在地領主)の家柄ですから当然格下に見られていたわけで、その田舎侍が有り得ないことに「一領具足」なんて名目を付けて農民ずれを武装させて自分たちの領地を占領するわけですから、家格が高いと思っている連中が言うことを聞くわけなんかないんです。今でも四国にはこういった空気がちょっと残ってます。「下賤」な元親は常に、正攻法の隙間を突いた「技あり」の戦略を採って勢力を拡大したので、少し秀吉とストラテジーが似ています。

元親の命で院主に据えられたのが、元親の家来で、土佐の著名な山伏であった南光院(宥厳)でした。ゴリゴリの修験者である彼は、麓の松尾寺の本堂よりも山中の金毘羅堂をグループの中心地に据えて組織を充実させました。この時期の金刀比羅宮は修験者(天狗道)にとって黄金郷だったことでしょう。しかし戦国の常で、長宗我部氏も数年後には讃岐を去り、仙石氏、生駒氏と次々に支配者が変遷していきました。
こんぴらさん誕生。
本来なら金比羅大権現はこのまま失速して落ちぶれてもよかったのですが、宥厳から別当を引き継いだ生駒家家臣の宥盛というお坊さんが、プロデューサー、マーケターとして抜群の能力をたまたま持っていたおかげで、金刀比羅宮は廃れるかわりに有名寺社の一角入りを果たすことになります。
宥盛は修験僧でありながら、話術に秀で、交渉事に優れたエネルギッシュな人物だったようで、休むことなく全国を行脚しては金毘羅大権現の信仰を人々に広めて回りました。彼のプロデュースのポイントは、マーケットの変化を捉えて、布教するターゲットを修験者(武士階級)から庶民に変更したことでした。彼は難解な真言密教のカラーを抑えて、理解りやすく「海上交通の守り神」として世間への浸透を図りました。

海の神様と言えば古くから住吉大社が全国区で、やがて厳島神社や大山祇(おおやまづみ)神社(大三島)も広く崇められるようになっていましたが、これは日本の神様達。金毘羅大権現は天竺の神様であり、目新しいものが好きな庶民たちは、宥盛から如何にも有り難くご利益を語られると、すぐに「こんぴらさん」を気に入りました。金刀比羅宮は全国から広く信仰を集めることの成功しましたが、当然ながら、船乗りたちから最も暑い信仰を受け、中でも船頭たちから絶大な支持を集めました。
平和になれば皆、旅行がしたい。
また、そのタイミングが、たまたま平和な江戸時代の始まりだったということも良かったようで、金刀比羅宮の名が高名になるにつれ、「金比羅参り」というパック旅行が流行りだしました。「富士詣(もうで)」やら、伊勢神宮への「お陰参り」など、江戸時代にはたくさんのツアーパックが登場しましたが、金比羅参りも「死ぬまでに一度は行くべし」と、日本全国からツアー客を集めました。このため讃岐(特に高松と宇多津)には、江戸中期には既に中四国、近畿、九州を結ぶ海上ルートや、五街道という陸路が整備され、高松藩が殖産しようとした頃にはもう商工の中心地として成り立つ素養が充分に整っていたわけです。
また、高松藩の松平家が、たまたま水戸の松平家だったことも良く作用しました。水戸藩の上士は基本が江戸詰ですから、土木工事、特に水利に明るく、彼らは慢性的な水不足の讃岐に江戸仕込みの本格的な上水道をもたらしました。

今では讃岐三白なんてものはとうにありませんが、現在の讃岐を語るのに欠かせない「うどん」も「白」です。また、明治以降いち早く国内生産が衰退し始めた「砂糖」の東讃は、泉南からの技術移転によって、早々に「手袋」の産地に変貌しています。これにも白のイメージがあります。
たばこや蒲鉾店
さて、話を「たばこや蒲鉾店」に戻します。
手狭で、薄暗く、歴史を感じさる古ぼけた具合が何とも風情があり、逆に味への期待感を高めてくれます。ご店主と思われる柔らかい物腰のやや高齢の御婦人は話好きな方のようで、ご自分が3人の子供を育てられたお話までしてくださいました。

なんでも「たばこや」というのはもともとタバコの販売店だったわけではなく、ご一家の姓が「莨谷(たばこだに)」だからなんだそうで、そこからの屋号なんだそうです。「良い草」と書いて「莨」という漢字自体が非常に珍しいのですが、これは「たばこ」と読みます。意味も煙草と同じで、この漢字が入る名字の方は非常に珍しいですね。

何とも居心地の良いお店だったのですが、久しぶりに立ち寄ってみたところ、なんと閉業されていました。

香川は本来、全国でもトップ10に入るくらい、すり身揚げの方の天ぷらを食べる土地です。うどんにはどっちの「天ぷら」も合いますし、私もよくトッピングします。まさかこんな老舗が無くなるとは思ってもいませんでした。新型コロナによるものなのか、ご店主の年齢によるものなのか判りませんが、なんとも勿体なく、残念でなりません。

たばこや蒲鉾店のほど近くに、同じく讃岐の天ぷらを供している「うえ松」があります。うえ松は兵庫町商店街が西に尽きたドン尻にあって、店の構えは商店街に面しているだけあって清潔感のある立派なものですが、店前の人通りはまばらで、「たばこや」よりはマシな程度のあまり良いとは言えない立地です。私はついぞ「たばこや」しか利用してきませんでしたが、次回からはこの店のお世話になります。是非とも「讃岐の天ぷら」の火が末永く灯り続けることを願うばかりです。
近頃、私が住む岡山でも、古くからある銘店が次々と消えつつあります。そのほとんどが時間貸しの駐車場になり、そういった駐車場が次第にまとまるとそこにマンションが建ったります。勿論それはそれで良い事なんですが、馴染んでいた景色が気がついたら変わっていて、しかも、少し前まで見慣れていた風景のはずのに、もとが何だったのかを思い出すことができなかったりして、そういった場合には大変ショックを受けます。庶民の営みは本当に儚く、記憶の中からすぐに零れ落ちてしまいます。
参考サイト:
Wikipedia、金刀比羅宮、YouTube、e-Stat、国立国会図書館、瀬戸の島から、丸亀市、京都芸術大学通信教育過程 芸術教養学科WEB卒業研究展、ビジネス香川、三井住友トラスト不動産 このまちアーカイブス、中央区観光協会特派員ブログ、善通寺、西大寺観音院、高松市駐車場等管理共同企業体、ようこそポルトガル、おりべいら、東かがわ市、琴平町、高松市、香川県、料理王国、神社人、神社小百科、note 巳白 シンとミズチの図像考①、水野善文 故地のクンビーラ -金毘羅由来説再考-、世界遺産マニア インドの世界遺産「ホイサラ朝の宗教建造物群」とは?世界遺産マニアが解説、遺跡ときどき猫 ホイサラ朝寺院、など。
画像元サイト:
Wikimedia Commons、国立公文書館デジタルアーカイブ、地理院地図、など。



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